ユキンのブログ

つまらない人間

研究の意味 せつないのお話

今日は日本村落社会学会の二日目、昨日先生方の研究はとっても勉強になりましたが、とある対話に引っかかって、昨日の夜にもあまり眠れなかった。シンは休憩時間での雑談でした。()は自分の推測。

A先生:またゼミをやろうよ〜(コロナで中止しているみたいです)

B先生:あぁ〜前のlinkが死んでいないかなぁ(zoomのことです)

A先生:そうですね、後継者が欲しい。(AはBより年上みたい)

B先生:あぁ〜後継者(自分のこと)も腰が曲がっちゃってんでよ。

自分も農村研究で、農村研究者と農業従事者はと同時に「腰を曲がっている」状況になっていると悲しくなっていた。夜もこの対話を吟味して、ネットカフェ泊まりの自分にも、悲観になった。

前にも後輩の人に「日本の農村は消滅すると思いますか?」「中国の農村は日本と同じく、消えてゆくでしょうか」などで議論をした。日本の研究者が信じられないかもしれないが、中国はいま農村研究はすっこく盛んになっている。

なぜなら、研究者も増えているほか、農村問題はやっと社会学の視野に入ってきたからだ。もちろん、中国の巨人達もいる、いまはもっと素晴らしい研究成果と研究者が輩出する。

日本も、日本での農村社会学もきっとこの道に歩んできただろうと、今まで日本の巨人達の本を読みながら痛感している。後継者問題もなく、たくさんの若い研究者が追いかけて、熱心に研究をしていただろうと。

これを考えると、30年後の中国の農村も、農村研究も、消滅しつつだろう。昨日はこのことで、窮屈のネットカフェでよく眠れなかった(自払いで来たから、東京の宿泊が高い)。

 

昨日の参加者は、80代の大先生もいる、50代の中堅担い手、と10人くらいの20、30代。もちろん先生達が村落研究の評判通り、厳しいコメントと質問を投げた。

そして、対面とオンライン併用だから、zoomに慣れない先生もいて、会場の設備も慣れなくて、昨日の発表会は大笑いしながら、時間オーバーして、なんとか終わった。